2009/8/31 月曜日

今日の端材。

カテゴリー: 暮し, おしらせ — yu-ka @ 19:45

20090831.jpg今朝、仕事場を掃除していて出てきた端材です。

檜と杉かな、

切りっぱなしですが、
紙やすりなどで磨くと、つるつるの白い木目に変身します。

積み木や、工作によかったら、

必要な方がいらっしゃれば、ご連絡ください。

2009/8/30 日曜日

職人技。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 19:41

ここにきて、私の周りの世界は、ひとつにつながりつつあるのを感じてます。

社会生活という枠の中で自分が生活している日常と、
自分が好きな世界と。

今まで、関りあうことなどないと思えた、言われていたことが、
誰が変わったわけでもないのに接点ができて、交わりあっていく不思議。

それを作っていたのは、誰でもなく、私なんだと知るばかり。
ほんとに、目の前にあるものは、全て自分の思考や記憶から来てます。

少し前、友達から端材をもらえないかという電話をもらいました、
それが寸法を聞けば結構大きい角材、
大き目の角材は、余すことなく建具になるのは、私にもわかっているのだけど、
かうちゃんと、義父に尋ねてみました、

予想通り、
うちにあるその大きさのものは、仕事に使う杉や檜しかないので、ホームセンターで買う方が安くて種類がある、
としごく納得の返事だったのだけど、

かうちゃんに何か相談していると思ったら、
私が書いた寸法のメモ、
その寸法の下に、尺、寸に変えた寸法がかかれていて、

望みがあるかも、と、仕事場の木をあさっていたら、
少し割れの入った大きな檜の角材が見つかって、
無理言って、それをもらえることになりました。

そのた日の夜には、義父とかうちゃんが加工してくれて、
取りに来た友達に渡そうとして初めて気づいたこと、

その角材、
面を取ってあるだけでなく、
私が見たときは真っ黒だったのに、
仕上げの機械まで通してくれたらしく、
色白のつるつるに変わっていたの。

私にしてもそうだけど、もらう方は、角材、
と言えば、角材なのね、
どんな色してようと、その寸法でありさえすればそれで十分うれしいの。

だけど、職人には許せないんだよね。

自分が扱う木は、すべて同じ思いで、同じ扱い、
その仕事に対する姿勢が、すごい。 200908301.jpg

2009/8/28 金曜日

吉野の材木、買えます。

カテゴリー: 暮し, おしらせ — yu-ka @ 19:40

先週の、きらめ樹の勉強会のとき、

参加してくれていた町外の友達から
「吉野材を使いたい、と思っても、どこで分けてもらえるかがわからない」

との意見がでました。

間伐材や、畑の添え木に使うような物まで、
買えるところがあれば、少しでも流通のお役に立ちたいけど、
どこに尋ねれば分けてもらえるのかがわからなくて、ホームセンターに行ってしまう、と。

きらめ樹の勉強会で大西さんのおはなしを聞かせてもらって、
一番感じたのは、いかに、間伐した木や、山の木を流通に乗せるか、
ということでした。

木が流通しないと、
木の仕事に関る人たちの暮らしもささえていけなくなるのです。

そして、費用をかけて手入れもできない、山が荒れることになってしまう。

でも、買いたいと思っている人はたくさんいる気がするの、
そして、大切に育てた木をそういう人に買って欲しいと思っている人も、

市場での取引となると、業者さんと業者さんになってしまうから
うまくつながらないけど、
直接、必要としている人達をつなぐもの、

それさえあれば、木は、まだ動くんじゃないか、と、

そして、山に手を入れれないから間伐してくれるならしてくれていいよ、
という人と、
間伐や、山の手入れをしたい、という人と、

需要と供給はあるのに、
うまくつながってない気がしてならないのです。

そこで、
勉強会に来てくださった森林組合の方にお尋ねしてみましたら

吉野の材木販売先については、まず一般消費者向けに材木を小売しているところは
ないそうなのですが、

買えるところを確認してくださいました。

①製材品 (柱等角材・板材)
吉野材センター 吉野町丹治11
電話32-5773 担当として武田さんに依頼してあります。
同センターに無い場合は、製材所を紹介してくれます。

武田さんは、山灯りの部材も売っていたので、必要なもの (たとえば、集成材の表面に張る薄いスギ)
等 質問してみてください。ただ彼も忙しいときが多いと思いますので、その辺のご配慮お願いします。

②杭・丸太類
奈良県森林組合連合会 林業機械化センター内
電話35-9201  担当 徳長・米田
小売させてもらうと言っております。

(杭を尖らせる先付け注文可能:長さ・太さに規格あるため、電話で相談してください)

以上どちらも、営業は 月~金の午前9時から午後5時の間にして下さい。

とのお返事をくださいましたので、
材木が必要な折には、ぜひぜひご活用になってみてください。

2009/8/27 木曜日

魔法のことば。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 20:34

一つ前の日記で、ホ・オポノポノの事を書いてみて、

これが、感じれば、感じるほどに深くて、先の日記だけでは言葉足らずだと思ったので、
もう少し書き加えます。

語弊をおそれずに言うと、
私、
数年前から、ストレスというものを、感じなくなったのです。

苦しいこと、しんどいこと、どうしようもないことがなくなったわけでなく、
自分の思い通りになるわけでも、いいことばかりあるわけでもなく、
自分を取り巻く環境は何にも変わっていないんだけど、
だんだん楽になっていったの。

やっていることは、ただ一つ。

目の前に起こる事すべてを、自分のこと、自分の問題として受け止める、
それだけ。

これが、私がいつも書いてる、自分の感情を感じきる、ということなのですが、

また、何かを創っていく過程では、自分を問う、という行為なくしては、通れないことが起きます。
それを学ぶ為に、こういうことをしたい、と、湧き上がってきたんだろうか、とさえ思うほど、

すべて、すべては、自分の中に隠してある、日常ではあえて出す必要のない感情を引っ張り出し、自分の問題と受け止める中で、ダークな感情を光に変化させて記憶の中に戻す、
そのためにあるのではないか、と思ってました。

ホ・オポノポノを読むほどに、おぉおおーと、思ったのは、

ごめんなさい。
許してください。
愛しています。
ありがとう。

の4つの言葉が、
感情が変化していく時に通る言葉だったから。

たとえば、相手が約束を守らなかった、ひどいことばを投げかけられた、
子どもが言うことを聞かない、問題行動がある、

自分でなく、相手に非があると思うから腹が立つし、許せない。
だけど、言われた自分に、そうさせてる自分に、と、返した時、
ごめんなさい。と、違う感情が浮かぶ

許してください、

ここまでで、終わって、自分を責めて、動けなくなった時期がある。
だけど、そこで終わるのは自分に逃げてるだけ。

自分も、相手もそうしかできなかった、
どちらが悪いわけでもない。

認めて、それを自分のこととして持ちつづけて関ろうとしてみて初めて、
愛しています、と目の前に言えるようになって、

すべてのことにありがとう、って感情に変わってくる

言うは易し、
それを生きるのは、本当に難しいんだけど、
本当に変わっていくので、これしかないと思ってるし、
そうありたい、と、いつも思ってる。

できない時があっても、相手が悪いのではない、何かそうしかできない事情がある、と思える余地が生まれる。

だから、たまらなくて、ストレスにならない、
だって、ストレスって、自分の思い通りにならない、ってことだものね。

ホ・オポノポノがすごいと思ったのは、
『相手の中の問題』だと思っていたことも、すべて、すべて、私の問題だと受け止めるところ。
相手の問題は、相手にしかどうにかできないと思っていたから。
それが、よもや、自分が作り出してるだなんて思ってもみなかった。

私の中の< 記憶>が、相手にそうさせている、
私の中の< 記憶>が、目の前の状況を作っていると受け止める。

だから、その< 記憶>(それがどの時のどの場面だった、とまで考える必要はない)に対して

4つの言葉をかけることによって、PCのDeleteキーで文字を消すように、
その< 記憶>を消すことで、目の前が変わっていく。
実際に感情がついていかなくてもいいと言うんだから!
だから、
魔法のことばなの。

すべてのことは、自分が作り出している、
目の前に映し出されるのは、自分の鏡だ、
と言われているけど、
その実践版のように思う。

そう、
ただただ、クリーニングするだけ。

ただ、それだけでいい。

『あなたが誰をも何をも、操作しようとしたり画策しようとしたりせず、
ひたすら< クりーニング>しつづければ、道は開けるだろう』

これは、ハワイにあった「触法精神障害者収容病棟」(精神的な病気が理由で、殺人のような重い罪を犯しても「責任をとる能力がない」と判断された人が収容されている、自分で自分をコントロールできない人を入れる病棟)の勤務を依頼された病院を、

一人の患者を診ることも診察することもなく、自分自身の中の原因を癒しつづけた結果、4年後すべての収容者が退院、病棟が閉鎖されたという、心理学者、イハレアカラ・ヒュ-レン博士のホ・オポノポノを表した言葉。

全ての事を、自分の中のこととして受け止め、自分の中をクリーニングするだけで、道が開けていくとすれば、

相手に求めること、返す必要がないなんて、なんてしあわせなことだろう。

この本に出会わせてくれた友達に、
この時間に書ける状況に
ここまで読んでくれた方に、感謝をこめて。

2009/8/23 日曜日

もらっているものばかり。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 10:58

昨日は、最後の最後に連絡ミスでかうちゃんに大目玉を食う、
という〆で終わりましたが、
それも含めて、本当に、本当に、ありがとうの一日でした。

朝から、町の若者主催のイベントがあって、そこで移動文庫と、おはなし会で参加させてもらって、帰って、夜の皮むき間伐の勉強会までに、
来てくださる方と、家族のどちらもにしておきたい事を、

それができたのは、もしも通って来られる方がいらしたら、というおねがい日記を読んで、お迎えを買って出てくださった博治さんのおかげなのです。
博治さんは、八尾のお住まいで、本当に送り届けるためだけに、
しかも、昨日は、体調がよくなかったのにげっそり

家に支障がでないように、と自分なりに気を配っても、
部活に行ってたゆーやんの迎えや、ちーやんの塾や、と、家族に迷惑をかけていることは多々で、

来てくださる方も同じで、いろんな事を調整して時間を作ってくださってるのだろうと思うと、

私、みんなに迷惑かけて、何やってんだろう、

と、申し訳なさでいっぱい。

別に、そこまでして自分がしなくても、
声をかけた相手も迷惑なんじゃないか、

何をさせてもらってる時も、常に、その思いと、迷いは私の中に。

何かを伝えたい、とか、自分が何かを変えるんだとか、
湧き上がる思いに突き上げられて行動し始めた頃は、そんな思いだけだったけど、
そこからもらうものが増えるたび、もらっていることの大きさに気づくたび、迷いも増えていく今日この頃です。

それでも、
そっちを選んでしまう私。

なぜ?

わからない。

そういう機会をいただくから、

それを、どんな風に受け取ってもらってもいい、
自分の中に入ってきたものを、
情報として、伝えたいから。

つなぎたいの。

情報をつなぐ
人と、人をつなぐ

それも、
私がつなぐのでなく、私は、ただ手渡すに過ぎなくて、
そこからつないでいくのは、その人自身なんだけど、

だけど、
もし、そういう一端を担えたとしたら、それがしあわせ。

自分だけだとどこまででもそっちに傾いてしまう私が、
こうして社会の中で生活できているのは、
私の周りにいるみんなのおかげ。

どの立場にいる人も、その立場でできることをして、
一生懸命その中で生きている。

それを感じさせてもらいながら、
また、違う選択肢があることも伝えたい。

何より、
自分が、それを選び、積み重ねたい。

昨日、来てくださった大西さんをはじめ、
ご縁をいただいたSちゃん、
そこまでに私に皮むき間伐をつないでくれたロコちゃん、
体験の機会をくださったIさん、
その一つ、一つの出来事がなければ、なかった昨日の時間でした。

大西さんの活動のお話はもちろんのこと、
いろんな立場の方が集まってくださって、
いろんな立場からの声を聞かせていただけて、
時間をとってしまいましたがうれしかったです。

集まってくださった方々、
読んでくださっているすべての方へ、感謝をこめて。

そして、

悪態をつきながら、私を動かせてくれる家族に、
それに懲りない私に、愛をこめて。

ありがとう。