2008/11/30 日曜日

10年一昔。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 10:42

大安の金曜日の夜、新しい車、エブリィちゃんが我が家にきました。

ここんとこのムーブちゃんと言えば、オイルの漏れはひどくなるわ、機嫌が悪いとバックのギアも入らなかったりで、乗るたびメンテナンスに気を使いながらも、いつ止まるか、と内心冷や汗かきながら、それでも一緒にいたくて乗る、と言う感じ

それでも、最後の最後までよく走ってくれました。

ちょうど、雨あ上がって、最後にもう一度洗ってあげることもできてよかった。

ムーブと過ごしたこの10年間で、子供達も一気に大きくなって
生活も変わって
車の中で、泣いたり、笑ったり、いっぱい、いっぱい、いろんな時間を一緒に過ごしてきた。

また、新しく始まるのかぁ
今度は、子供達も年頃になってくるし、今まで以上に変化があるんだろうなぁ

かうちゃんと二人で車に乗ってると、18歳と、20歳の頃のままの二人で
時間の速さに驚く。

こうして、時間は積み重ねられていくんだね、

今度の車は、初めて自分の好きな色を選びました。
建具も積めるように、という名目でハコバンにしたので、本がいっぱい積めます\(^o^)/

車の好きなかうちゃんがいろいろ付けてくれたので、ちょっと他の車とは違う仕様になりました(笑)

すれ違ったら、よろしくです。

あさきゆめみし。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 10:41

この一週間、とりつかれたように瀬戸内寂聴さんの『女人源氏物語』(一~五巻)を読みました。

初めて、源氏物語のおもしろさがわかった気がする~~!!

今まで、どうしても受け付けなかったのが、行くとこ、行くとこで女の人とできてしまう光源氏の行動。
で、どうしてもおもしろさを感じれなかったのだけど、この女人源氏物語は、関わりあう女の人についての話を、女御、侍女、当の本人達が、それぞれの立場から語ることで、ひとつの出来事をいろんな目から感じれるのがおもしろくて、

寂聴さんの解説がまた、『家政婦は見た』状態で、まるで聞いたか、見たかのように語られている解釈が、おもしろくてたまらない。

千年前の物語が、今もなお色あせずに残っている、というすごさ。
紫式部、おそるべし!!

結局、しあわせな人が誰もいないのね、
女人源氏物語では光源氏本人が語っている話はないのだけど、それがまた、光源氏、という人を浮かび上がらせるのね

裸の大様みたいに見えて、
だんだん可愛そうに思えてしまった。

光源氏と言う人は、
自分を信じて集まる人に対しては、どれほど世間が相手にしないような人にまで、決して見捨てることがなく、それは慈悲深いの

だけど、自分の意志に反する事を言ったり、する人には、それは、冷淡で驚くほどに非情で・・・
こらぁ、小さいゾ、光源氏!という感じ。

それってね、身近な世界でもあるよねぇ。
あるイミ、子供との関係もそうかもしれないし
友達関係の中、恋愛の中でもあること

自分の世界から出て行こうとする人に、恐れや不安を抱くことから生まれる。

じゃ、どんな相手だったら、光源氏の中にある空虚を埋めることができたのか、って思うと難しいのだけど、

おかわいそうな人、と女人が上に立った時点で、たいていは出家してしまって、関わりを絶ってしまう。

どこまでも、どこまでも、光源氏が何を言おうと、関わり続けることを選んでくれる人がそばにいてくれたら、違ったんだろうか、
そんな人もまたいたのだろうか、

いろんな女の人が出てくるけれど、私は昔からなんとなく末摘花に惹かれるのです。
ひたむきに相手をただただ信じる人なんだよね、
やっぱり、信じるものは救われるのだ。

でも、まぁ、読めば、読むほどに、なんと奥の深い物語・・・。
漫画のあさきゆめみしも、再読したくなったぁ。

2008/11/23 日曜日

新嘗祭(にいなめさい)

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 9:51

11月23日って、私が知る限り『勤労感謝の日』という祭日だったたけど、もともとは、天皇が収穫を神にすすめて感謝する新嘗祭の日の祭日だったのが、占領下にできた昭和23年の祝日法によって(神道的な祭儀が行われてきた祭日が)名前を変えたんだってね。

大字の神社では、新嘗祭が行われ、”ごんげんさん”と呼ばれているごくまきがありました。
こういう慎ましやかな行事が、粛々と続いていることがうれしい。

昨日は、近所で町主催の農物産展がありました。
毎年、この時期なので、もしかしたら新嘗祭に合わしてるのかなぁ。
品評会・即売会があって、どの野菜もほれぼれするくらいよくできていて、
誇らしげで、
地域ぐるみのこういう機会はいいなぁ。

20081121.jpgその会場の駐車場に、午後からは講談社のキャラバンカーが来てくれました。 二年に一度くらいの割合で奈良に回ってきてくれていて、今回で4度目。
その間全国を休むことなく全国を回っている、というのがすごいです。

しかも、講談社の本だけでなく、他社の本も積んでますから、
その懐の深さ、
子供たちに本を手渡したい、という気持ちが形となった、大人でもわくわくするトラックです。

奈良は、この後は幼稚園や小学校などばかりで、残念ながら自由に参加できるところはもうなかったのですが、次は和歌山です。

最近、とりつかれたように本を読んでます。

もう、自分でも驚くくらい。

本を読むって、力がいるの、
気合と言うか。

それが、何冊読み終わっても集中が切れない、というのは私には珍しくて、
一冊読むごとに、また違うジャンルにまでつながって、広がって、とめどなく読むものがでてくる感じ。

づっと読めずにいたものが、すっと読めてしまったり、
本にも、タイミングがあるよねぇ。

もともと日本のことばや、神話についての本が好きで、気になると読むのだけど、そこから旧暦や神話、日本神話、古典文学、という感じでどんどんつながっていて、

今は、何度も挫折してきた源氏物語にもどってます。

更級日記も読んでみたいし、古事記も深めたい。

こういう、どんどんつながってく感覚がおもしろいんだよね。

義経千本桜も、ゆかりのあるところを回ろうとすると、ほんんとに奥が深いし、訪れると、また違うものを感じれるて、なおおもしろい。

一時、京都の奥嵯峨が好きで、好きで。
というのも、平家物語の中の『祇王』という白拍子の話に惹かれて病まなかったから。

実際にある祇王寺http://www.giouji.or.jp/top.htmlに行ってみて、そこからまた次につながって、という感じ。

トロッコにはまだ乗ってないまま、行くきっかけがなくなっていたけど、
光源氏の最後は嵯峨野だと読んだら、むくむく行きたくなってきた。

今日は、宮総代のじっちゃんの代わりに神主さんを送っていって、なんとなく
神主さんの大字にある山口神社http://www5.ocn.ne.jp/~miyosino/yamaguti.htmlにお参りしてきた。

ここの神社、すごくよいのです、
朱色の本殿がなんとも厳かなのです。

こういう、気が向くままふらふら行くのは得意分野(笑)

そういえば、神社も奥が深くて、知れば知るほどにおもしろいので、神事や日本の神様の本もよく読みます。

町内にも、近隣にも、まだまだ行ったことのない神社がいっぱい!!

日本語って、
日本の成り立ちって、
ほんと、奥が深くておもしろいよなぁ。

2008/11/16 日曜日

日はまた昇る。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 6:00

うれしさいっぱいで幕を開けた、新しい歳。

今日は、ずっと楽しみにしていた間伐ボランティアの日、
あいにくの雨だけど”小雨決行”と書いてあったので、カッパやら詰め込む。
やめる、という考えは浮かばず、かうちゃんにあほ扱いされる。あせあせ(飛び散る汗)

友きちが学校で検定試験だったので、洗濯すませてお弁当作って、駅に送って、そのまま集合場所まで直行。

課せられることは何ら減ることがなく、返って増えていってるのに、そこまでしても行きたい、って思うところがあほな所以なんだろうな、そこに雨だものね雨(笑)

慣れってすごいな、って思うのが
以前なら、いっぱいいっぱいだったことが、何度も、何度も繰り返していくうちに、だんだん無理なく、余力を持ってこなせるようになってること。
それが、普通になってくこと。
だんだん、できることが増えていくうれしさ。

間伐ボランティアは、さすがに危険なので雨で中止になった。
でも、さすが、どの人もカッパ、長靴姿で行く気満々。ダッシュ(走り出す様)
代わりに吉野高校で、座学とチェーンソーの実習を受けることに。

吉校に入らせてもらうのは初めてだったけど、木に関する本格的な機械が揃っていて、圧巻。

誰かが声をあげて形をつくる事って、関わりのない人には自分たちとは違う、で終わってしまいがちになる。

自分が一端を担うことで、何かで、どこかで関わることで、
初めて、自分のこととして置き返れるようになる。
立場変われば自分もそうだから、なおさらに思う。

初めの一歩までには、越えるものがいっぱいあるんだ。
関わっててもあるんだから、関わってなければなおのこと。

いっしょに作り上げていく過程で、知らず、知らずのうちに超えていって、
そうやって、知らない間に、それぞれにできることが増えて、広がっていく。

だから、小さなことの積み重ねしかない、って強く思っているけど、目に見える結果はすべてでない。
それは、誰かにとって見えるものにすぎない。
目に見えない所に、いっぱい、いっぱい種があるし、ぶくぶく発酵しかけのものがある。
自分が精一杯したことって、結果でなく、後悔がないもんね、
それが、どういう風に発酵する種なのかは、誰にもわからないこと。

だから、今は、つながってないように思っても、
こうなればいいな、いいな、
という所に向けて、自分のできる小さなことで動きつづけるしかないから、
小さなことを積み重ね続けたい。

チェーンソーは、機械の怖さを身近で感じてるので、説明を聞けば、聞くほどこわかった。
でも、実際に切れていく感触は、とても楽しい。

刃の目立ての様子は芸術!
本当のプロは、怖さを知った上で、扱うべく扱える人だと思う。

どの道においても、
知ってる、できる、わかってる、
どこかで自分の力を過信してしまうのが一番こわい。

それで、思い出した・・・

最近読んだ本は、選んだわけでもなく、不思議とそういう内面を描いたものが多かった。

私は、誰かが評価してくれる時ほど、うれしさ以上にこわさを感じる。
素直にうれしいのはもちろんなんだけど、その後にくるのはこわさ。

自分を過信してまいそうになるのがこわいのだ、
なぜなら、
過信してしまったことがあるから。

その思いは、いつも、いつも消えることはないのだけど、
そうか、

今、初めて腑に落ちたこと。

お誕生日の朝、お宮さんにお参りしたら

これからは喜びだけを受け取るがいい、
もう、十分果たした、

そんな声が聞こえてきたの。(こういう声って、絶対に誰もが聞いてるよね。耳を傾けるか、傾けないか)
過信してしまった自分を、いつもどこかで負い目に感じてきた。
口に出さず、淡々とできることを積み重ねる事は、そんな自分に対して唯一できることだった。
どんな扱いを受けようと、それを受け取ってもらえずとも、ただ、感じきる。

誕生日を機に、これからは必要はない、って言ってくれてるの?
って、いまいち腑に落ちなかったんだけど、

そだね、
すべては発酵なんだよね。

こわさの中にあったのは、
超えていくよろこびだった。

ぶくぶく
しゅわしゅわ

まったり
おいしくなるための。

これからは、純粋な、自分のよろこびのために積み重ねていこう。

2008/11/15 土曜日

ありがとう。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 5:59

たくさんのコメント&メッセージありがとう。

夕方帰ると、予期せぬ郵便やプレゼントもいくつか届いていてびっくり。
何から開けよう状態で、

友きち曰く
「芸能人か」(笑)

ありがとう
ありがとう。

朝、
起きてきて開口一番、
「おめでとう」「何もないけどな」
ぼそっとかうちゃん。

「パパンと一回(ツケ)たたくだけやんけ」
「一回ちゃうし」と軽口言いながら、
ここ三日間ぶっ続けの練習を、気持ちよく出してくれて。

「今日は、家の事はまかしとき」、と送り出してくれたのはばっちゃん。

ツケ(音)をたたくのに使った木は、仕事場にあった大きな端材で、
ツケ本体は、カンナ(道具)の持ち手を切ってもらったものでした。

もらってる気持ちが、ただうれしくて、
重ねあえる気持ちが、ただうれしくて
生まれてこれた日が、ただうれしくて、

だから、何をしててもうれしくて。

行く前から、あまりにうれしいから、会場ではどうなるのかと思うくらい(笑)
向こうでも、いっしょにそこにいれるのがうれしくてたまらなかった。

きっと、誰も誕生日を覚えてくれてなくても、うれしかったと思う。
変な意味でなくて
自分だけは自分の存在を認めてやれるうれしさ。

何年か前までは、大事な人から忘れられてると、ものすごくショックだったから。

でもね、わかったんだ。

大事に思っていても、忘れることがあること。
大事に思っていても、どうしても嫌な時もあること。
いつも同じでなくてもいいこと。

だけど、
お互いどう感じてようと、お互いがお互いであれば、
また、時がくれば重ねあえること。

今日は、ほんとうにいい時間をいただきました!
重ねてくださったみなさん、
本当にありがとうございました。