2008/10/29 水曜日

ぽつり。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 19:51
昨夜、かうちゃんが録画してくれた番組で高石ともやさんが「陽気にいこう」という曲を歌ってました。

 「陽気に行こう」
  喜びの朝もある 涙の夜もある
  長い人生なら さぁ陽気に行こう
   *陽気に行こう どんなときでも 陽気に行こう
    苦しいことは 分かっているのさ
    さぁ陽気に行こう
  嵐吹き荒れても 望み奪われても
  悲しみは通り過ぎゆく 陽も輝くだろう
   (*繰り返し)
  君を信じよう 僕を信じておくれ
  救い主は生きている さぁ陽気に行こう
   (*繰り返し)
  美しい朝には 声をかけておくれ
  僕も歌いながら 挨拶しよう
   (*繰り返し)
  恋はうれしいもの 別れはつらいもの
  人生は長いもの 君は幸せもの
   (*繰り返し)

高石ともやHP http://www.geocities.jp/takaisi_tomoya/

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カーター・ファミリーが歌った「Keep on the sunny side」を聞いた高石さんが日本語で歌詞をつけて歌った曲なのですが、
高石さん自身、くじけそうなときは、いつもこの歌を思い出して過ごしてきたそうです。

数年前、奥さんが癌で余命半年の宣告を受けられたのですが、そのときも、この歌の歌詞どおりにお二人で歩まれ、今も、与えられた一日、一日を大事に過ごされています。

なんとも、すてきな歌でした。

ここ最近、違和感を感じてることがありました。

日常には直接関係のないことなので、あえて考える必要もなく、考え始めると、それぞれの立場での思いもあり、と言って心も動かず、わからなくなるので、わからないままにしてあって。

わからなくなるのは、ふんづまりな状態ではあるけれど、
それを受け止めれる自分に安堵したりして。

日常は、淡々と何気ない時間がしあわせに過ぎていく。
淡々すぎて、こわいほどにね。

一週間くらいそんな状態だったのですが、
今朝、仕事場の掃除をしていたら、
スッ、っとほどけていきました。

それは、関わりあう中にあった。

誰かの心配や不安や、伝わらないことに対して私がなんとかしようと思わなくても、その関わりの中で、何度も、何度も関わりながら埋めていけばいいんだ。

声にならない声を拾い、受け止めながら
自分の言葉で

現実の中の自分の動いて感じたことと、考えたり、受け取っていたことが一致して、やっと、納まるところに納まりました。

勝手に明けて(空けて・開けて)いくんだね。

こんな時、いつも支えられてきた初女さんの
「揺れるとき、下に下に伸びていく」という言葉と、
大好きなくどうなおこさんの詩。

わからん  工藤直子

手を のばしてみる
その手の 指さすむこうに
なにが あらわれるのか……わからん

足を踏み出そうと 宙に浮かす
その足が 着地する世界は
わたしを どこに導くか……わからん

それが まったく わからんので
それが まったく わからんからこそ
まず 手をのばし 足を踏み出す

『わからん』が原動力 

2008/10/24 金曜日

すべては流れ、流れていく。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 19:47
20081020.jpg雨の金曜日。

有里さん達が長野へと帰路に着いた火曜日の夕方、友きちを迎えにいった帰りの空は、やばかった。

月曜のコンサートは、有里さんのツアー最終日でもあったのですが、
歌と、演奏、客席が重なり合った、一曲、一曲の拍手が止まらない、
なんともしあわせな時間でした。

届きあう感覚、とでもいうのかなぁ。

歌詞カードを見ながら、一緒に歌える曲も多かったのもあるのかもしれないけれど、
自分の声、みんなの声、有里さんの声、演奏、空間
いろんなものが混じり合って、誰のものかという区別のない世界、というか、一体感。
不思議な感覚でした。

どれだけタイトな状況に置かれても、疲れもなく、何の支障もなく、ただただよろこびで包まれる。

うれしさ、よろこび、感謝でからだのすみずみまで満たされると、こういう状態がきます。

一度、この感覚を知ると、疲れたり、しんどくなるのは、目の前にあるのではないことに気づかされてしまう、
それは、自分の中にある。

過去2回のコンサートでは、自分の中には細心の注意を払っていたにも関わらず、コンンサートが進むたび、体調が悪くなって、5月のコンサートの後は、その後何日か寝込む、と言う、普段からは考えられないことが身におきて、気づけたのが、私でありきれてなかったこと。

主催者側として、参加する側として、演奏する側として、母として、嫁として、
それまで、誰にとってもいいところに喜びや、うれしさ、感謝が重なり合う、と実感していたので、あまりにそちらに重点を起きすぎて、私の居心地よさを知らず、知らずのうちに抑えていたのでした。

それ以来、自分でありきることが、相手や周りへの誠意。
と、いい人に見られたい自分であるとか、相手を思い通りにしたい自分であるとか、いろんな自分に遭遇しながら、味わいきることを重ねる中感じたのが、

すべては流れ、流れていくこと。

自分がおたおたしなくても、感じていることを大事にありきれば、収まる所に収まって、流れ、流れていくこと。

コンサートの日に、自分が感じることがとても楽しみだった。
再会も、出会いも、ただただうれしかったぁ。

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

そして、うれしさがMAXを超えると、今度は、ふつふつと謙虚な気持ちがこみ上げてきて、

よろこびとよろこびが重なり合った後は、うれしければうれしいほどに、今まで流してきたこと、嫌だと感じていた相手の気持ち、いろんな人の気持ちが押し寄せてきて、自分が感じていること、やっていることがどうなのかわからなくなるのでした。

気づけば、うれしさMAXの後は、いつもそういう状態にはまってきた気がします。

ありがとうと、感謝がある沸点を超えると、いかな私でも謙虚さがこみあげてくるのか、
普段は流すようなことや、見えなかったことに目がいくようになるようです。
うれしさの中だからこそ、反対の思いの入る空間が生まれるんだろうね。

そして、いつも、自然と新たな何かに巡り合って
また、淡々と積み重ねる日々が始まって…

一昨日、自分では判断しかねることを耳にして、それまでまったく疲れのなかったのが、一気に頭痛に覆われて、寝ていても、重苦しさで何度も目が覚めて。

昨日の朝、友きちを送った帰りにお宮さんに参って、椅子に座って、ぼんやりしてたら、
迷いなくいきなさい、
と、浮かんできたの。

誰かのためとか、
誰にとってでなく
自分が感じていることを淡々と

気が楽になったと同時に、神さまが取ってくれたのか、だんだん頭痛も消えていきました。

今、目の前にあること。

ただ、それだけなんだろうね。

2008/10/16 木曜日

本が好き。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 19:43
081016_0754011.jpg空がまぶしい~~~ 

晴れた日は、干したいものが後から、後から出てくるけれど、
日差しは祝福そのもの。

何日か前から、友達の一押しの「ダ・ヴィンチ・コード」を4年越しに読み始めました。

実は、この本、
何度借りても入り込めなくて、借りちゃぁ返す、を繰り返してきたいわくつきの本なのでした。

あれだけ何度読もうとしても入りこめなかったのが、今回はすーーーと入って、読みはじめたら止まらない~~。

久々に、(借り物なので)お風呂以外で寸暇を惜しんで本を開いてます。

この小説、登場する建築物、文書、秘密儀式に関する記述がすべて事実に基づいているということで、

中に出てくる「黄金比」には、おおいに興味をそそられます。

~人間にとって最も安定し、美しい比率とされ、建築や美術的要素の一つとされる。 縦横2辺の長さの比が黄金比になっている長方形は、どんな長方形よりも美しく見えるといいます。

名刺は黄金比

何のことはない。名刺は黄金比になっているぞ。その比率とは。
1:1.61803...
または
1:0.61803...

この他、自然の中にもこの比率でできてるものがいっぱい、
芸術作品は、もちろん、驚くようなことまで。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~pep/haniwa/syoko/newpage4.htm
(ちょうど、本の中の一説が紹介されているページが)

普段、あたりまえに目にしてるものの中に、黄金比がたくさん隠されてるかもしれない、って思うと、わくわくするよねぇ。

聖書やいろんな文献も出てきて、とっても興味深いの。

あぁ、
やめられない 止まらない~

2008/10/13 月曜日

もうすぐハレの日。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 19:51
2008101211.jpg200810122.jpg秋祭りのシーズンですねぴかぴか(新しい)

我が地区は、19日が秋祭り。

当屋としての最後のお手伝いとなるわけですが、
当日の準備を先週あたりからはじめています。

昨日は、山の中に祭られている神さんの掃除に行きました。

私が嫁いで何年かは、ごくまきも、山の中まで行って、まいてましたが、お参りしやすいように、と、いつからか本殿でのごくまきに変わったので、久しぶりのお参り。

村の下端から山に入ったのに、登っていくと、なぜか、我が家を越えたところにある山側に出てびっくり!!

どこを歩いてるかわかってないので、絶対、遭難するタイプと、かうちゃんに太鼓判をもらいました(笑)

男組は(と言っても二人だけど)草刈機で草を刈ってくれて、
女組は、掃き掃除。

終わった頃には、なんともうれしく、
「礼を申すぞ」と、聞こえてきたよな、こないよな。

今はまだ、参ってくれてる人がいるようで、道も草を刈ってくれてあるし、榊も立ててくれてあったけど、子供達の代になったら…と思うと、一抹の不安が。

山の神様、ごんげんさん。
かうちゃんの子どもの頃は、山が遊びばだったらしく、いろんな道を知っています。
大事に守っていかなきゃいけない、って思った。

だけど、一人じゃ参れない~~
遭難してしまうーーーーっ。あせあせ(飛び散る汗)

途中から見える景色は、遠くの山々まで見えてなんともきれいでした。

そこを含めて3箇所、山の中にある神さんの掃除しました。

じんむさんや、歯の神さんもあるんだよ。

この一年の神守(当屋)は、気を使うことも多かったけど、神さまの祠が家にある、という、ものすごーくありがたいことがあたりまえになってたり、神事に混ぜてもらったり、と、うれしさい事の方が多かった~~~~。

お祭りの準備は3日がかりで行います。
2日目は、村中の人が集まって、おごくをついたり、食べる準備をしたり。

色生のおごくは、おごくには珍しい、だんごなのです。
お米をわざわざ粉にひいて、蒸して、塊にして、ついて、
おもちの方が、よほど楽なのに、わざわざそうする所がみそです。

ごくまきは、これまた珍しく夜。

火を焚いて

取るといいことがあると言われるかさごく(大きなおもち)は、火を飛び越えての取り合いとなるのでありました。

小さな村の、こじんまりしたお祭りだけどね、
なんか、いいんだなぁ。

2008/10/10 金曜日

10月10日。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 19:54
10月10日は、「天(10)の日」、空を見上げましょう!って、朝のテレビで言ってた。

今日は、長男ともきの18回目のお誕生日バースデー
そして、私とかうちゃんが親にしてもらった記念の日。

子どもの18歳って、こんなに感慨深いんだね、

今日の彼は、運動会。
去年の今日は、友達が先生に誕生日だと言ってくれたとかで、着席の言葉が

「うえっち誕生日おめでとう」

になったとか(笑)。

3年間、野球ばかりで遊んだことのない人だから、運動会の準備で残ったり、そんな学校で過ごす何気ない時間が楽しくて仕方のない様子。

どんな時間を紡いでくるんだろうな~。

昨日、近所の友達に誘ってもらって、中学校の人権発表会なるものに行ってきた。

役員さんや、発表する子どもの父兄さんを省くと、何もなく来てるのは私たちだけじゃないか、って(笑)

すごいね、今の子ども達は。
オリンピックでのことや、いのちやいじめについてのことが素直な、のびやかな言葉でつづられていて、

それは、今の私には、恐れ多くて簡単に使えない言葉だったりする。
重みがわかるほどに、使えなくなる言葉。

まっすぐに前を見つめて話す姿がまぶしい。ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

休憩時間などに子ども達が見せる顔は、私たちの頃となんら変わりなく、
どれだけ環境や状況が変わろうと、
根っこの部分は一緒なんだとあらためて。

そのごちゃ、ごちゃ~ってしたものが、”生きる”という世界だもんね、
年齢に関係なく。

いろんな人にまみれて、関わりあう時間は何ものにも変えがたい。
めんどくささも、わずらわしさも、すべて、すべて。

私たちの時代には、中学校、高校になって親が学校の行事や、部活を見に来てくれるなんてありえなかったもんなぁ。

行けるよろこびかみしめながら、
いつか思い出に変わるのがわかってるから、
翻弄されてぷかぷか浮かぶのも愛しくて、
それぞれが過ごす時間も愛しくて。

すべて
すべてに、ありがとう。