2007/10/27 土曜日

時の流れ

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 20:17
怒涛のような一週間だった。

秋祭りがあって、三日目の手伝いが終わって、やっとひと息、と思ったら、中学校来の友達の訃報が届いて

これが、お通夜もお葬式の日も、悲しいくらいにお天気で。

自分のことなら、辛抱する時に根っこが深まる、と踏ん張れるけど、やりきれない悲しみというのは、全身をとらえて離れなくて。

洗濯物干してても泣けてきて、泣けてきて。
出会えたことへの感謝しかないんだけど、簡単に整理できることじゃない

自分の悲しみ、やりきれなさと、あまりに無縁な日常がさ

何もしたくない、ただただじっとしていたいのに、時間も、日常も、待ってくれない

いっぱい教えてもらったんだよ、
だからこそ、生きなきゃいけないって、友達の分も
そのうち、いつか、なんてないことも。

そこに、また、近所で不幸事があって、二日間手伝い、と、うちのめされた。

この悲しみや、孤独感って、一番、わかって欲しいんだけど、一番、人には伝えれないこと。

今日は、文庫で、町内の言い伝えや昔の暮しを、その場所に行って語ってもらう、というのを企画してたので、踏ん張って行った。

そこで、あらためて、近所にあるお地蔵様訪れて

河童のいたという岩、激流をただただながめて

一緒に行ったみんなと、たわいのない話して

友達とも、久しぶりにゆっくり話せて

帰ったら、

何かが吹き飛んでた。

悲しみがなくなったのではないのに。

家族の中で起こることも、

どうにもできないものを抱えながら、暮らしているうちに、薄れていく。

人間って、どれだけ悲しかろうと、やりきれなかろうと、薄れていくんだよなぁ。
悲しいくらいに、たくましい

2007/10/21 日曜日

秋祭り

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 20:35
♪む~らのちんじゅのかみさまの~~

というわけで、今日は村祭りです。
うちは、この祭りの後から当屋(とうや)なので、去年から二人お手伝い。

うちの村は、お葬式なども村で出すので、料理もすべて手伝いさんで作るのです。
祭りも同じだったのだけど、今年からはパックを取る事になりました。

時代の流れだなぁ~
大変だけど、大勢の人の手で料理作るお手伝いは結構好きでした。

おごく(おもち)は、今時、珍しい”だんご”
わざわざ、だんご粉にひいてもらうのです。

蒸して、ついて
だんごにまるめて

午後からは、一軒に一人手伝いに来て、仕上げのパックを一緒に食べる、一年に一度村人が揃う日。

パックを作らなくてよくなったので、朝からお宮さんでおもちをまるめてました。
なので、神事も見ることができた。

鯛、白菜、しいたけ、お神酒、おごく、栗、するめ、こんぶ
お供えを、神事に関わる人で一つづつ送ってた。
神さまの祠の扉も開いて、祝詞があげられて

空はどこまでも青くて

一年間、神さまのお世話をさせてもらえるのって、すごくうれしいかも!!(でも、当屋は見てるだけで気を使う!!)

いろんな年代の中のお手伝い、昔は大嫌いだったけど、今は嫌いじゃない。
どちらかと言うと、楽しい。

嫁いで18年。
同じような時の流れが、どこの家庭にもあって、みな、同じ村で生きてきたつながりみたいなものを感じる。
月日ってすごい。

年配の人はすごいわ、やっぱり。
生き字引。
それぞれに生きてきた重みもすごい。

ちなみに、ごくまきは、夜です。
真ん中で火を焚くから、取り合ったりするとちょっとスリリングなごくまき。
これからは、何度となくごくまきシーズンです。

キミノちゃん。

カテゴリー: 暮し — yu-ka @ 20:32
071017_171701.jpg昨日、ばっちゃんの代わりに、実家の近くの工務店に集金に行った。

帰り、持たせてもらった栗を届けに寄った。

テストなんだろうか、制服姿の中学生。
私も着ていた制服

以前は、高校だった跡地は、今は公園になっていて、それはきれいに管理されていて、水の流れているゾーンが見える。

見慣れた道だけど、立ち並ぶ風景はだいぶ変わってしまった。

変わらない、商店街のアーケード、踏み切り

店の中が見える、いた、いた、キミノちゃん。
おかぁちゃんが、お店番してる。

栗持ってって、おばちゃん(母の姉)に私の分も、ともらってきてくれたという”むき栗”をもらった。(笑)

こどもの話やら、家の話すると

たいてい、その後、『もっとがんばらな』『してあたりまえ』だと、続く。

昔は、それが悲しかった。
せめて、お母ちゃんにだけは、『よぉ、がんばってるな』、って言って欲しくて。

キミノちゃんは、今も五時過ぎに起きてサンドイッチを作る。
お父ちゃんが手を怪我してから、商品出しもしてるのだとか

『お父ちゃんに言うたらかわいそうやからなぁ』

言わんと、自分で出してるらしい。

お店にしばられて生きてきた、今も、これからも

『イスキア、来年の夏、一緒に行こうか!』

『いらん、電車に乗るのしんどい』

吐きながらでも店を開ける、根っからの商売人。
農家の末っ子で、習い物しながら花嫁修業してた人がねぇ

がんばって、がんばって、頑張りつづけてるキミノちゃん。

『よぉがんばるなぁ』
なでなで ぎゅーっ

『髪の毛、くしゃくくしゃになる』(はじめから、くしゃくしゃやがな…)

『もっと持って帰り、あれは、これは』

『十分もぉた、店つぶれんで』

『もう、つぶれてるから一緒や』

『ほな、もろて帰るわ』

何にも構たられへんで、っていつも言うけど

顔見れるだけでうれしいねん。

おかぁちゃんに負けやんように、私もしっかり動くわな。

2007/10/16 火曜日

ひとりの時間

カテゴリー: 暮し, ひとりごと — yu-ka @ 20:06
今日はみんな外仕事だったので、思い立って、三輪さんに行って、一心不乱にお山(神山)に登った。

途中、きつくなってきて立ち止まると、汗がしたたり落ちてきて、自分の心臓の音が山の中に響き渡って聞こえる

鳥の鳴き声
虫の声
電車の音
学校のチャイムの音
車の音

いろんな音と、風、空
そして鼓動が重なる
すべてはひとつに重なる。

昨日は、久しぶりに三ノ公を歩いた

でも、いつもとは違って思えたんだ
私の感じ方が変わったのか、何に違いを感じたのかはわからない。

わからないまま歩いていたら、葉っぱが、はらはらと上から落ちてきた。

その落ち方が、なんとも印象的で、
そこだけスローモーションのように見えた。

ただ、はらはら落ちてきただけなんだけど、そういう一瞬にわけもなく惹かれる。

ただ歩いていると、”日常”って浮かんできて
日常だなぁ、って思った。

今日、お山に登ってみて、三ノ公と似て非なる場所なのに、とても似ているとあらためて思った。

特別な場所なんだけど、日常の中にある。

土曜日、文庫に行ってたのだけど、帰るとばっちゃんが洗濯物をたたんでくれてあって、友も迎えに行ってくれて、ありがたくご飯の準備だけした。

夜、かうちゃんに怒られた

洗濯物を直さず、一日終わった気になってくつろいでたから。

文庫に行って半日遊んできたんなら、帰って倍動け、と。

近所の付き合いであろうと、こどものことであろうと、家を空けたら、その分帰って動くのはしごくあたりまえのことで、それを覚悟で行ってるし、返って動けるのはずなのに、まして自分のしたい事で出してもらっているのに、自分のペースで、後でもええやん、って思ったんだよね

見事に、甘えを指摘された

この辺りが、かうちゃんは鋭い。
出かけてたから、忙しかったから、って自分までもが勘違いしてるんだよね
いくらでもしようと思えばできるのに

私は、心に響く家事を、動きをしたい
だから、甘えちゃいけないのだ、自分に。

そんなこと、つらつら浮かんでくる

登るにも、道は一つじゃなくて、どっち選んでも、同じ道に出て

忘れるから、登れるけど、ここからしんどい、とかいちいち覚えてたら登れない、しんどくて。

ほんとに生きることと同じだなぁ、って思った。

帰ってくると、初女先生の新刊『初女さんからお母さんへ 生命のメッセ―ジ』(主婦の友社)が届いた。

ぱらっとめくったページに

おむすびを握る、野菜を切る…ささやかなことでも、ひとつひとつ心を込めて、10の過程があるなら、すべての過程に手を抜かないで、ていねいにやったときに、人の心と魂に響きます

とあった。
そう、
そうなんだ

そういう日常を積み重ねたいんだ

初女先生、ありがとう。

2007/10/13 土曜日

知ることから始めたい

カテゴリー: 暮し, おしらせ — yu-ka @ 12:58
話せば長い話の続編です。

たまたま用があって事務所に来て、PCを開けて、届いていた私のメー
ルを読んでくださって、あまりのうれしさに電話をしてくださった、とか。

『奈良に支部をぜひ、作ってください。
奈良だけがどうしても出てこなくて、づっと、づっと気になってたんです。』

講演会緑や本にもあったと思うのですが、大型動物は、県境で消えていき、一度絶滅したものは、二度と出てこないため(他府県から連れてきても、根付かない)大型動物を守るには、一つの県だけでは無理なのです。
”紀伊半島の熊”という形で、奈良、三重、和歌山が歩調を合わさないと守ることができないのですが、三重と和歌山には支部を立ち上げる動きが出てきているけど、奈良ではこれまで動きがなかったそうです。森山さんも奥山も見に来たり、働きかけてはいたけど、出てこなかくて、づっと気になってらしたそうです。

これは、信じられなかった。
奈良でも、そういう活動をされている方はたくさんいらっしゃるので、何らかの動きはあると思っていた。

そんな所に『奈良に支部はないですか?ないなら作りたいです』と、送ったメールが届いたので、連絡をくださったのでした。

『ぜひ、奈良に支部を作ってください!!』

『はい、作ります!』

簡単すぎるようだけど、言葉にするとこれしかなくて。
きっと、森山さんもそうなのだと思う。

自分の家が自営で杉や檜を扱う仕事をしていて、杉や檜に対しても、同じくらいの畏敬と愛情を持っていることを話すと、

『杉や檜はすばらしいですよね』、と間髪入れずに返ってきた。

問題なのは、荒れたままになってる人工林であり、奥山なのだと思う。
手がなくて荒らしてある場所を、落葉広葉樹に植え替えるお手伝いできたら、動物は生きていける、里に出てこなくなる、晴れても雨でも変わらずこんこんと湧き出る水源が蘇る

なんていうのが、全部にあてはまるかどうかはわからない。

そう、この活動に関わりたい、って思った時、一番感じたのは

『勉強しなくちゃいけない!!』

ってこと。
一つの角度からだけでなく、木に関わる方からの目線であるとか、実際に被害にあって困ってる方の目線であるとか、木や、森、水源、動物の生態、もう、知らないことばかり。
『知らない事がたくさんあるので勉強が必要だと思いました。』って、話すと

『私たちも今も勉強しています』

と、返ってくる。
その、小気味いいまでの即答と、大きくなっても原点からぶれない会の姿勢にものすごくうれしくなった。

今、紀伊半島側の熊は、絶滅に近いそうです。
有害駆除という名の元に、ほとんどが殺されてしまっているのが現状。

私は、声高に、だから反対!!
などと叫ぶつもりは毛頭ない。
だけど、この現状をたくさんの人に知って欲しいと切に思う。

自分の暮らし、水源に関わることであり、森を切り、水源をなくしてきた文明はいずれも滅びてきていることは誰もが知っている。

自分には関係のないことのようだけど、ほんとうに関係ないんだろうか

小さなことでも、一人一人にできることが、一人一人にしかできないことってあるんじゃないだろうか

少しでもそういう気持ちのある者が集まれば、できることがあるんじゃなかろうか

奈良支部という形があれば、集まる事ができる。
知恵を出し合うことができる、一人ではできないことができる

ないなら、作りましょうよ

周りの人に知らせることならできる
体力には自信がある
いろんな形の関わり方があると思います

熊森協会は、実践自然保護団体

と、森山さんは仰られました。

”愛は言葉でなく行動である”

まさに、その言葉通りの活動だと思います。

奈良支部立ち上げに向けて、協力をお願いしたいです。
森山さんの講演会もおねがいしたいです。

一緒に、熊森の奈良支部を立ち上げませんか。