2006/1/30 月曜日
今日は、ミーティングがあったのだけど、今の家の状態、先週もらった時間のことを思うと、とても言えないし、無理だと思ってた。
でも、気づいたの。
尋ねてない、って。
言わずに、家にいるのは、自分が楽なだけ。
楽なほう選んでる。
たまにしかないみんなに逢える機会。
そう思うと、すごく行きたくなって。
ダメもとで頼んでみた。
ばっちゃんも留守で、条件的にはすごく悪かったのだけど、それも含めた上で、行ける範囲で行かせてください、って頼んだら、ちゃんと伝わって。
短い時間でも、そこに居れるの、ものすごくうれしかった。
行く道中も、遅れてるのにうれしくて、うれしくて。
お昼に間に合うように帰って、準備するのもうれしかった。
昼から、本格的に雨が降ってきて
山がもやに隠れて周りが真っ白。
なんだか、今日の雨はやさしくて、雨にぬれた風景がやさしくて
じわじわ心にしみてきた。
2006/1/29 日曜日

ちーやんは、どっちかを選ばせるのがお気に入りで、暇さえあれば
なー○○と、○○どっちが好き?
と、尋ねてくる。
で、たいてい、「どっちも好きやから選ばれへん」と、答える私。
ゆうべ、お風呂でまたまた尋ねてきたちー。
「なぁ、なぁ、かえるとおたまじゃくし、どっちが好き?」
「どっちも」
「おかぁちゃんやったら、そう言うと思た。でも、今日のはちょっと違うで」
「おたまじゃくしやったら、かえるにもなるから、両方選べるねんでー」
「なぁ、なぁ、かえるとおたまじゃくし、どっちが好き?」
「おたまじゃくし!!」
「ほんだら、ちょうちょと青虫は?」
「三回おいしい卵からがええな」(笑)
昨日、滅多にテレビを見ない、と記しましたが、訂正いたします。
(自分から)テレビをつけない、でした。
だって、昨夜も見たもの。(^^ゞ
かうちゃんが見てたローカル局の「家族の愛情弁当」って特集。
再放送みたいだけど、わたらせ渓谷を走ってるローカル電車の車掌さんと近所のおばちゃんを結ぶお弁当の話があって。
このおばちゃん、沿線の桐生って無人駅の前に住んでるのだけど、20年間、毎日駅の掃除をしたはるの。
桐生の駅はきれいだね、気持ちいいね、って帰ってもらいたいから、って。
そして、14年前に車掌試験に受かった顔見知りの内田君に、「子どもも大きくなって、お弁当作る相手いなくなって淋しいから、作っていが?」と尋ねたら「いいよ」というので、その日から、毎日出勤時間に合わせてお弁当届けたはるの。
お金払うなら、つくらねぇ、って。
作らせてもらえるのがうれしくて、うれしくてたまらないらしくて、それに対する感謝の言葉しか出てこないこのおばちゃん。
「もういらねぇ、作るな、って言われるまで作る」って。
その姿見てたらねぇ、泣けてきて。
あまりにもきれいで、泣けてきた。
おんおん泣いてたら、かうちゃんがティッシュ2回くれた。
それが、このおばちゃんのふつーやねんもん。
生き方やねん。
どのおかずも美味しそうで、おにぎりは、不思議なほど初女さんのおにぎりそのものだった。
作り方も、形も。
心が洗われるような人だった。
2006/1/28 土曜日
滅多にテレビを見ない私。
でも、毎日テレビ欄は確認(笑)
午後2時から毎日放送で「伊藤英明インカを歩く」という名古屋のCBCテレビ開局50周年特別企画の番組が。
今日はファシリテーターの講座を受ける予定だったのだけど、懇談やら予定が続き、状況が変わってダメ出しが出たのだ。
行くつもりで文庫も休みにしてあったので、夕方の習字だけのゆったりした日に。
ちょうど私の仕事もあったりと、返って家に居れてよかった、という感じ。
インカ帝国、空中都市、マチュピチュは、惹かれてやまない所。
アンデスの山に惹かれる。
ご飯の用意しながら所々見ていたら、そこに暮らす人々の暮しに妙に懐かしさを覚える。
ここには、アイヌと同じで文字がなく、すべて、伝承で受け継がれていて。
村の人は、皆で助け合い生きていて
自分の為ではなく、誰かの為に生きてる
自分は誰かの為
誰かは自分の為
そうやって、祈り、助け合い、生きる
難しい理論や、言葉でなく、そうやって生きてきて、これからもそうやって生きていく。
ごくごく自然な営みなのだと思う。
ネイティブと同じではないか。
アボリジニーも同じ。
日本も、もともとはそうだ。
皆、そうやって生きていた。
どんな時代がこようと、変わらないものは人と人をつなぐ心。
自分は誰かの為
誰かは自分の為
自分の知らない所で祈ってくれてる人がいるかもしれない。
そのおかげで、今があるのかもしれない。
やっぱり、今日も、ここにつながるのだ(笑)
私はひとりだけど、ひとりではない。
2006/1/27 金曜日
ここ二日間、私用にかためて時間をもらえて。
あらためて、感じているのは、自分の存在のちっぽけさ。
時間をもらえるありがたさに、どれだけがんばっても、居るのと同じことは絶対できない。
必ず、誰かの手を借りていて。
それだけ意識してるつもりでも、悲しいかな抜け落ちがあって。
それでも、あたたかい言葉で包んでもらって。
返って、気づかせてもらう。
もらう温かさから、どれだけ支えられてるかを感じる。
そのままの私を受け入れてもらえるうれしさ。
これほど癒されるものってない。
一人ではできない。
一人で生きてはいけない。
みんのおかげで存在する自分を、今を、しみじみ思った。
おかげさまって、その言葉の向こうにたくさんの人であり、物事がある、そういう言葉なのだと、何かで読んだことがある。
本当にそうだと思ったの。
今朝は、朝日がまぶしかった。
私は、今日も動けて、みなも元気に起きて来れて…洗濯物干してたら、そういううれしさこみあげてきた、そんなまぶしさだった。