2005/2/28 月曜日

私にとってHPの”ひとりごと”は、もう一人の自分でした。
そう感じている自分がいる。
それを書きとめることで、立ち止まったり、前に進んでこれました。
書くことで、出会いももらいました。
公開されている、ということはもちろん意識の中にありましたが、書くことで分け合えることがあるような気がして、心のままに書きとめていました。
でも、読んでくれる人がどう思ってるか、を意識した時から、書けなくなりました。
書くことがこわくなったのです。
感じていることを書くことが、自分にとって当たり前になりすぎてるこわさ。
自分は何を書きたいか、何を感じてるのか。
日記の名前を変えてみたり、表現を意識してみても、何を変えてもしっくりこない。
そう。
意識した時から自分じゃなくなってしまうのです。
私は私でありたい。
今以上の努力をしないのではなく、
感じていることに嘘をつきたくない。
そういう気持ちがあふれてきた時、暮らしの中で感じてるうれしいこと、気づきをまた書きたくなりました。
『もう、ひとりごはつぶやくまい』と思って変えた名前でしたが、”ひとりごと”が自分にとって、どんなに大切なタイトルだったかに気づきました。

朝は、霜がうっすら降りて、痛そうに見えた葉っぱたち。
草の上を『ごめんね』と歩くと、ガッシ、ガッシと音がして、懐かしい感触が広がります。
小さい頃、霜がおりた田んぼを踏みしめた時の感触です。
1時間もたつと、お日様が顔出して、クロッカスも目をさましました。
おはよう。
おはよう。
新しい朝に、おはよう。
2005/2/27 日曜日

今週は、文庫や学校行事で週の半分が過ぎたのですが、いくら予定が詰まっていても、生活やいろんなことと重なっても、作りたいお菓子まで作れてしまったのが木曜日。
明けて、金曜日は、身体が朝から重く、学校に出かけないといけないのに、どうものりきれません。
帰ってくる頃には、頭痛までしてきました。
家では、仕事場や生活、頼まれたことがいくらでも待っています。
あーもう、余裕がないわぁ!!
そう思った時、
それだけで心が軽くなりました。(笑)
そう。
しなければいけないこと、自分が選んでいること、って思ってるから、しんどいと感じてることを言えなかった。
誰に言うのでもなく、自分自身に。
ほんま、余裕がないなぁ。
なんて言いながら、一日が終わる頃には、いつの間にか頭痛も直っていました。

『ハンドミキサーでおもしろいほどおいしくできる』(萩田尚子)という本を見つけました。
お菓子を作るのは大好きですが、あるものを無駄なく使えて(卵白や、卵黄のどちらかを残したりせず)、なおかつ楽ちんで、気楽に作れる、というのがいいなと思ってます。
さて、今日は、作って持って行きたい所があったので、簡単でラッピングしやすいマドレーヌを選んでみました。
ハンドミキサーで、という本なので、全卵と砂糖を混ぜたものを文字がかけるほどの固さまでハンドミキサー混ぜる、というのがミソなのかも。
普通のマドレーヌよりふんわりした生地を型に入れて出来上がり~。
2005/2/26 土曜日


葉が落ちた跡が顔に見える冬芽。
何回考えても、こんなこと考えつくなんて、神さまっておちゃめです。
探せばいろんな顔があって、本当に見飽きません。

今朝は、お日様がでてからとの気温の差が激しいらしく、あたりかまわずものすんごい湯気がわきあがっていた。
ふと目に入ったブルーベリーの苗。
友達の家からやってきた一本は、どうしても元気になれなくて、葉っぱも一枚も残っていない。
このまま枯れてしまうのかな・…そう思いつつながめていると、小さいけれど、木の芽があった。
他の苗に比べると断然小さい。
けれど、確かに芽は出ている…
生きてるんだなー。
ぎりぎりのとこで踏ん張ってるんだよなぁ、って。
とても愛しく、勇気をもらった。
そして、思い出した。
秋とは思えない温かさと雨で、きれいさっぱり消えてしまったほうれん草。
そうそう、めげずに蒔いた種からも芽が出かけてたな。
出てました、出てました。
もう、うじゃうじゃ。
ほうれん草、小松菜、正月菜。
まく時期がずれたので、これからまともに育ってくれるのかは想像がつかないけれど、土の中からからをつけて芽を出してる姿を見ていると、種ってすごいなぁ、って思いがこみあげてきた。
種をまく。
ただそれだけで、土と、雨、自分の力で芽を出してくる、新しい生命。
なんて力強さなんだろう。
私のまいた種。
土の中だけでなく、生活の中でまいてる種は?
笑顔?
喜び?
それとも苦しみ?
どれをまいても、何らかの芽が出てくるということ。
それをまいてる、という自覚。
まく、という行為について考えた。
どうせまくなら、周りにいっぱいしあわせの種をまきたい。