うれしさいっぱいで幕を開けた、新しい歳。
今日は、ずっと楽しみにしていた間伐ボランティアの日、
あいにくの雨だけど”小雨決行”と書いてあったので、カッパやら詰め込む。
やめる、という考えは浮かばず、かうちゃんにあほ扱いされる。![]()
友きちが学校で検定試験だったので、洗濯すませてお弁当作って、駅に送って、そのまま集合場所まで直行。
課せられることは何ら減ることがなく、返って増えていってるのに、そこまでしても行きたい、って思うところがあほな所以なんだろうな、そこに雨だものね
(笑)
慣れってすごいな、って思うのが
以前なら、いっぱいいっぱいだったことが、何度も、何度も繰り返していくうちに、だんだん無理なく、余力を持ってこなせるようになってること。
それが、普通になってくこと。
だんだん、できることが増えていくうれしさ。
間伐ボランティアは、さすがに危険なので雨で中止になった。
でも、さすが、どの人もカッパ、長靴姿で行く気満々。![]()
代わりに吉野高校で、座学とチェーンソーの実習を受けることに。
吉校に入らせてもらうのは初めてだったけど、木に関する本格的な機械が揃っていて、圧巻。
誰かが声をあげて形をつくる事って、関わりのない人には自分たちとは違う、で終わってしまいがちになる。
自分が一端を担うことで、何かで、どこかで関わることで、
初めて、自分のこととして置き返れるようになる。
立場変われば自分もそうだから、なおさらに思う。
初めの一歩までには、越えるものがいっぱいあるんだ。
関わっててもあるんだから、関わってなければなおのこと。
いっしょに作り上げていく過程で、知らず、知らずのうちに超えていって、
そうやって、知らない間に、それぞれにできることが増えて、広がっていく。
だから、小さなことの積み重ねしかない、って強く思っているけど、目に見える結果はすべてでない。
それは、誰かにとって見えるものにすぎない。
目に見えない所に、いっぱい、いっぱい種があるし、ぶくぶく発酵しかけのものがある。
自分が精一杯したことって、結果でなく、後悔がないもんね、
それが、どういう風に発酵する種なのかは、誰にもわからないこと。
だから、今は、つながってないように思っても、
こうなればいいな、いいな、
という所に向けて、自分のできる小さなことで動きつづけるしかないから、
小さなことを積み重ね続けたい。
チェーンソーは、機械の怖さを身近で感じてるので、説明を聞けば、聞くほどこわかった。
でも、実際に切れていく感触は、とても楽しい。
刃の目立ての様子は芸術!
本当のプロは、怖さを知った上で、扱うべく扱える人だと思う。
どの道においても、
知ってる、できる、わかってる、
どこかで自分の力を過信してしまうのが一番こわい。
それで、思い出した・・・
最近読んだ本は、選んだわけでもなく、不思議とそういう内面を描いたものが多かった。
私は、誰かが評価してくれる時ほど、うれしさ以上にこわさを感じる。
素直にうれしいのはもちろんなんだけど、その後にくるのはこわさ。
自分を過信してまいそうになるのがこわいのだ、
なぜなら、
過信してしまったことがあるから。
その思いは、いつも、いつも消えることはないのだけど、
そうか、
今、初めて腑に落ちたこと。
お誕生日の朝、お宮さんにお参りしたら
これからは喜びだけを受け取るがいい、
もう、十分果たした、
そんな声が聞こえてきたの。(こういう声って、絶対に誰もが聞いてるよね。耳を傾けるか、傾けないか)
過信してしまった自分を、いつもどこかで負い目に感じてきた。
口に出さず、淡々とできることを積み重ねる事は、そんな自分に対して唯一できることだった。
どんな扱いを受けようと、それを受け取ってもらえずとも、ただ、感じきる。
誕生日を機に、これからは必要はない、って言ってくれてるの?
って、いまいち腑に落ちなかったんだけど、
そだね、
すべては発酵なんだよね。
こわさの中にあったのは、
超えていくよろこびだった。
ぶくぶく
しゅわしゅわ
まったり
おいしくなるための。
これからは、純粋な、自分のよろこびのために積み重ねていこう。